答え☆

答え言います † ☠ Ω∞のD->♥->音楽♫♪♫ジ ☠ †



1と答えた人・・・

勇者ですね^^意地が強い、主張心が強い、人の上にたち人をまとめる役に向いてるね^^アメリカ人じゃないですか?? 笑

2と答えた人・・・

やっぱり日本人ですね 笑
この質問したら約99%以上の日本人は2と答えるんです 笑
意思が弱いっていうか、人のことをちゃんと思いやってやれるいい人なんですけどね^^

まぁ、大抵の日本人は気が弱いのでこう答えるのですが・・・ 笑




3と答えた人・・・

友達なくしますよ 笑
危険信号です・・・


4と答えた人・・・










































死ね











この日本人の心理は「意地」という言葉をあまりこころよく思っていないからなんです・・・。
その証拠に、意地という言葉はけっしていい意味に使われていないんです。「意地が悪い」と言うが、「意地がいい」とは言わないし、「意地が汚い」とは言っても、「意地が綺麗」とは使わないんですよ・・・。
「意地になる」と言うのは、わざと人に逆らうことだし、「意地を張る」ような人間は決して好かれない。こう思っていたら、日本人は意地を持て余してるように思います・・・。

しかし、このことを外国(アメリカとかフランス)人に「意地になればみんなが不自由になる」と話してみると、外国人はビックリしてそれは違わないか、と聞き返したそうです・・・。
外国人達にとって「意思を通す」ことは、まさしく「自由」を意味するからだそうです。それなのに何故、意思を貫くと不自由になるのか、と思いません??

「確かにそうだ・・・」って・・・

自由とは自分の意思が思うままに通じることを意味します。それなのに日本では「意地になればみんなが不自由になる」のである・・・。
それは日本人が意思をあまり好ましいものと思わないから、としか考えられないんです・・・。

なぜだろう??

って思います。



それはおそらく日本人特有の「和」の精神(すなわちみんなとの仲)が「意地」を好まざるものにしてしまったんだそうです。人々が協調して生きてゆくためには、何よりもまず、個人的な主張を抑えなければならないんです。もし人々がバンバンと勝手に自分の思ってることをやり通そうとすればそこで争いが起こって、収拾がつかなくなってしまいます。
日本みたいな小さな島国でみんなが仲良く暮らすためには、どうしても自分の意思を控え、みんなに合わせなければなりません。

すなわち、人々の共通の意思に従わなければならないんですね・・・ 泣
いわゆる日本的合意というのは、なんとなく感じることの出来るそのような共通意思なのである。

だけど、人々の共通意思なるものは、必ずじゃぁないけどはっきりとしたものではないんですよね・・・ 汗

互いに顔色を伺って、それとなく察知することはあくまで相手の意思を読み取るからとても漠然としたものなんです・・・。

だから、ときとして勘違いなどをする場合もあるんですよね・・・

うっかり勘違いして、それに合わせて自分の意思を表明したりしたら、とんでもないこといなる。


そこで、人々はうかつに自分の意思を試そうとはしないんです・・・。
よくよく共通の意思を確かめた上で、はじめてそれに和して自分の意思を述べる。そして、共通意思からはずれた自分だけの意思は胸の内に秘めておくのです・・・。


このようにして、日本人は、意思をあらわにすることを嫌いになったんだそうです。個人的な意思は、あくまで心に閉まっておくものと日本人はこう考えました。


だから、日本人は意地を張ればみんなから冷たい目で見られると無意識で考えて、周りのみんなも無意識で冷たい目で見るようになったんです・・・。



だから、日本では「KY」と言う言葉が気づかぬうちに生まれたのかもしりません。


今僕達が使ってる「意思」という概念が日本に生まれなかったのは、たしかに奇異に感じられますけど、その理由は、日本人は「意思」を内に秘めて容易に語らなかったという実情によるものではないかなぁ・・・。





どんだけしゃべってんねん・・・ 笑



ごめんね

もし最後まで読んでくれたなら感謝感謝です☆



じゃぁ
長くなったけど


結局のところ


やっぱりみんな日本人ですね 笑




じゃ